元町八幡神社について

東京都国分寺市西元町に鎮座する元町八幡神社は、奈良時代に建立された武蔵国分寺のハケ(国分寺崖線)の森の中の一郭にあり、又の名を「本村八幡神社」と呼ばれています。
 その昔、明治22年に国分寺村ほか9か村が合併して国分寺村(現在の国分寺市)となった際、旧国分寺村と新国分寺村を区別するため、旧国分寺村を本村(ほんむら)と呼ぶようになりました。
 昭和40年、町名整理・住居表示制度を実施する際に「本村」と意味が近い地名ということで元町(もとまち)となり、面積が広いため東西に分けられ 現在の東元町、西元町になりました。

 創設元和年間(1615~1624)と言われているのは定かではないですが、享保5年(1720)社殿建築の資料はあるそうです。
 祭神は応神天皇。境内社として祓戸神社(祭神・瀬織津毘売神、速開都毘売神、気吹戸主神、速佐須良毘売神)、榛名神社(祭神・火産霊神、遠山毘売神)が祀られています。
 元町八幡神社にお参りするようになってから吉事が続き、「脚が悪くても気軽にお参りを続けたいから参道の石段に手すりを付けさせて欲しい」との申し出があり、急な石段に手すりが付いたなんて話もあるほど。(階段が辛い方は元町通りの坂道からでも辿りつけますよ!)

太鼓

石川県松任の浅野のくり抜き胴の太鼓で、昭和52年9月に直径1.47㍍で完成した当時は、大国魂神社の1.85㍍の大太鼓に次ぐ日本で2番目に大きな大大鼓だったとか。その後次々と大国魂神社ほか あちこちでこれよりも大きな大太鼓は作られてるようですが。

神輿

 終戦後(昭和22年頃)府中の宮大工 伊藤林作氏に手作りで作って貰ったもの。代金は当時食糧難の時代だったので現金でなく、サツマイモだったとか。当初は白木で、今は塗られて修理を施し金具も綺麗になりました。

山車

平成2年、国分寺在住・藤野工務店の宮大工職人 藤野吉廣氏、誠工板金の山口誠氏、八王子・井上木彫刻工房の井上桂秀氏・進一氏 親子が、氏子会、青年会とともにケヤキの買付け 運搬から、何年もかけて尽力して作りあげました。伝説を主体にした彫刻は脇障子の上は龍、屋根後部は虎、左側面脇障子は布袋、左右は翁、高欄は獅子、脇障子前面は手長、足長、右側面脇障子は仙人など。文字通りの「総欅造り」の山車は、一流の職人技の粋を結集したこの上なく誇らしい出来映えです。

太鼓、神輿、山車については
5月の例大祭のほか、11月の七五三参り、大晦日の除夜祭にもお目見えします。

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